『MEMENTO MORI-死を想え-』
10/28(水)と10/29(木)に書いた
『MEMENTO MORI-死を想え-』
に裾野のジーコとベランダのジュリエット(和泉)からメールを頂いた。
ジーコは僕のコメント
(「大車輪には大車輪にしか判らない世界がある」)
に賛同してくれて
「大車輪でいられなくなる日が必ず来る事も事実。」
と締め括っている。
ジーコは、「脱・大車輪」したのだろうか?
正直に言って、現在の僕には、
いつか自分の精神・身体が「大車輪であるべき自分」から
脱落してしまうところを想像することは難しい・・・。
僕は精神・身体が物を言う仕事をしているので
精神・身体が変化することに
(それが進化であるにせよ退化であるにせよ)
とても関心がある。
5年後の僕、10年後の僕は一体どうなっているのだろう。
ベランダのジュリエットが言うように
飄々としていて鋭いコーチになれるのだろうか?
優しさと厳しさを上手にコントロールできているだろうか?
ネバリとかガンバリの在庫はまだ残っているのだろうか?
大車輪はすこしずつ形を変え、進化を遂げているのだろうか?
それとも、物の見事に退化しているのだろうか?
今の僕にできることはただひとつ。
「今、世界が終わっても良いように生きているだけです」
2人の御蔭で、『生』を強く感じることができました。
ありがとう。
果して、僕はどんな40代を送るのだろう?
『10代 憎しみと愛 入り交じった目で世間を罵り
20代 悲しみを知って 目を背けたくって
町を彷徨い歩き
30代 愛する人のためのこの命だってことに
ああ 気付いたな 』
エレファントカシマシ「俺たちの明日」より




先生
こんばんわ
久しぶりにパソコンを開きました。
毎日が忙しいですね。コメントありがとうございます。
今も真夜中です。
素敵な30代を迎えられたのですから、40代は、
「不惑」の年齢。もっともっと幸せを手にいれられま
すよ。
生きるってことは、いつも楽しくて苦しくての繰り返し
ですが、どんな人生もその方の宝ものです。
先生は多くの慕って下さる生徒さんがいらっしゃる
のですから大丈夫。先生冥利につきますよ。
御身ご自愛くださいませ。
投稿: 和泉 | 2009年11月21日 (土) 02時38分
「大車輪」=組織の中心でありながら「個」としての
自立が不可欠。
⇒この時点でまず篩いにかけられる・・・脱落者多数。(ただこの時点での脱落者は、そもそも大車輪
になることを望んではいない。)
もうひとつ大車輪に不可欠なもの・・・
それは「勝ち続けること」
言葉を変えれば「負けを認めず立ち上がること」
これに耐え得るもののみが「大車輪の称号」を
自他ともに享受できる。
しかしながら「大車輪」の存在は、残念なことに
組織の中での「伝承」を阻害する。
この矛盾に気づいた時、「大車輪」の崩落が始まる・・・
投稿: じーこ@裾野 | 2009年11月25日 (水) 21時34分
TO じーこ
土曜日に飲めなかったのは残念だったけど、少しでも話しができてメールの意味するものの謎が解けて一安心です。
メールがじーこの内なるものの吐露なのか、僕に対する暗示なのかと少し悩みました。
今度、ゆっくり酒を飲みながら「大車輪」について語りましょう。
それでは、また。
投稿: へーま | 2010年1月22日 (金) 13時46分