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2009年10月29日 (木)

続・『MEMENTO MORI―死を想え―』

19才の頃、右も左も判らないまま

タウンテニスに僕が連れてこられてから、

来年でとうとう20年が経つ(僕は来春の3月で39才になる)。

20年といえば、随分、長い年月だ。

僕にとっては人生の半分がタウンテニスにいることになるんだから

テニスの神様の存在を感じずにはいられない。

 

選手の頃も、指導者になってからも

我武者(がむしゃ)らにここまで突っ走ってきた。

心の底から、50才になっても60才になっても

コーチをしていたいと想っている。

だけど本音を漏らすと

「現在」の僕のテンションとモードでコーチを続けることは

できないのでは?と魂が叫んでいる。

恐らく、一大転機があって違うテンション&モードの

NEWへーちゃんが出てこないと身も心ももたないだろう。

 

だからこそ、僕には誓っている事がある。

 

どんなに辛くても苦しくても40才までは

「現在」のテンション&モードで突っ走ろうと・・・。

 

それで駄目になったら(怪我とか病気とか)それはそれで

現実を受け入れようと覚悟している。

もしかしたら40才になった頃には、新しい僕が出てきて

変貌を遂げているかもしれない(「スラムダンク」の安西先生みたいに。

一番、望んでいるのは、何千球とボールを出しても

疲れない技術を身に纏(まと)っていることだ)。

 

とにかく、40才までは突っ走る・・・。

 

大車輪には大車輪にしか判らない世界がある

(誰が何と言おうと僕はタウンテニスの大車輪だ。

大車輪の気持ちは僕にしか判らない)。

 

車中、僕の好きなCDをかけて、大声で歌いながら

(窓が全部閉まっているのを確認してから・・・)

家路につく。

 

『I‘LL BE FOR YOU

 

運命の悪戯なんて 歯車の食い違いなんて

日常茶飯事なわけで 愛もすれ違う

 

明日世界が終わるとしたら

その瞬間誰といたいかなんて

ハナから上から目線だし 悠長甚だしくて

 

確実に来る明日なんて 誰も保証はできない中で

今、世界が終わっても 良いように生きているだけです

 

どこかで誰かが目を瞑り

どこかで誰かが目を開く

喜んだり悲しんだり 何かと忙しい訳です

 

それでも誰かを愛する訳です

それでもあなたを愛する訳です』

 

『モンゴル800 「I‘LL BE」より』

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へーまの呟き」カテゴリの記事

コメント

>大車輪には大車輪にしか判らない世界がある

その通り。でも大車輪が大車輪でいられなくなる日
が必ず来る事も事実。

自分の精神・身体が「大車輪であるべき自分」から
脱落してしまう・・・


ネバリとガンバリのへーまさま

 大車輪として頑張っていらっしゃる由。素敵なお心と思います。

その大車輪はすこしずつ形を変え、進化を遂げると思います。

 「スラムダンクの安西先生」のように、飄々としていて鋭いコーチになってください。

 優しさと厳しさを上手にコントロールなさってますね。感心いたします。

 ハトさんがそんな無残な状態になっていることに驚きました。夜の闇の世界はわかりませんね。
                         合掌

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