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2009年8月

2009年8月31日 (月)

はじめてのテニス合宿を終えて

日常(大泉)から非日常(東松山)へ。

お泊りともなれば、弥が上にも子供達のテンションは高まる。

子供達のハイテンションを前に

非日常(東松山)の地で日常(大泉)のままの

僕のモードでレッスンを振る舞うほど

僕はクールではないし大人でもない。

子供達に合わせて僕もスーパーハイテンションだ。

鉄は熱いうちに打とう。

僕が体を張れば子供達は化ける(たぶん)。

そして、実際に化けた(よかった)。

そこまでは良かったけれど、

子供達のテニスの腕前が上がるのと引き換えに

僕の膵臓(すいぞう)がやられる(残念)。

それが、疲労によるものなのか、ストレスによるものなのか、

暴飲暴食によるものなのか、

僕には判らない(おそらく全部だろう)。

無理もない。いい加減、僕もそれほど若くない・・・。

それはさて置き、僕らは初のテニス合宿で

たくさんの「快感」を味わうことができた。

合宿の間(バス、電車の移動中も含めて)

大きな事故もなく無事にすんだことに

テニスの神様に感謝したい

(パジャマが行方不明になったぐらいはよしとしよう)。

楽しい夏の思い出になりました。

 

「来年は二泊がいい!」とか「三泊にしよう!」」とか

口を揃えて言う無邪気な子供達はとても可愛く有難いけれど、

もしそうなれば僕の体は、

膵臓ひとつやられるぐらいではすまないだろう・・・。

       二〇〇九 夏  平馬 冨人

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2009年8月28日 (金)

はじめてのテニス合宿(8/4~8/5)-ダイジェスト版-

 数ヶ月前、上司のYちゃんに「夏休みにテニス合宿をする」と告げられる

 

 アシスタントコーチがK輝コーチに決まり、

東松山に一泊で、はじめての子供達のテニス合宿

開催が決定する

 

 参加人数が定員一杯の16人になり

僕の心は不安一色になる

 

 合宿数日前、育成クラスから参加のチビケン(5年生)ママに

合宿終了予定日の5日に「育成クラスはありますか?」と

サラッと聞かれ、肌に粟(あわ)を生ずる

(背筋に猛スピードで恐怖心が駆け抜ける)

 

 合宿前日の天気予報が初日、2日目ともに完全な雨予報で

テニスの神様に裏切られ絶望的になる

 

 合宿当日、集合時間になってもK成がこない(イリエってる)

 

 初日の午前、午後のレッスンが一滴の雨も降らずに無事終了する

(テニスの神様に感謝する)

 

 夜、花火で盛り上がる

 

 就寝前、ボボネ(6年生)が女子部屋に

「〇〇君を連れてきて!」「次は〇〇君を連れてきて!」と

発情する(まるで盛りのついた猫みたいに男を欲しがる)

 

 2日目、練習の途中で2年生ながら育成予備校から

特別参加(合宿は4年生以上対象)のアッチョメが

靴下を履かずにプレーしていたのが発覚して愕然とする

(バックに入ってなかったとママのせいにする)

 

 結局、丸2日間、晴天に恵まれ、

レッスンも第1幕、第2幕、第3幕と大成功し

胸を撫で下ろし酒に溺れる

 

 問題視された行き帰りの電車とバスの車中も

なんとか乗り越える

 

 みんなのテニスは見事に化けて

僕は物の見事に大虎に化けて解散する

 

初テニス合宿大成功、万歳!

 

 数日後、アツポンチのパジャマが無くなったと

パパから聞かされる

 

おしまい

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2009年8月27日 (木)

可愛げのない奴(子供達)

(人間に対する)僕の「好き嫌いの激しさ」は、

自他共に許すところだ。

だからといって、以前はそんなことは全くなかったのに

子供達に対しても、これが当てはまるようになってしまい

とても残念に思う(因に、僕の「子供好き」も自他共に許すところだ)。

 

考えられる理由はふたつ。

 

ひとつは、僕のかなりのジジイ化が進行していること

(しかめっ面の苦虫ジイさんの予備軍になっている可能性がある)

もうひとつは、可愛げのない子供が増えたこと。

 

今回は、僕のジジイ化について考察しても

得るものがなさそうなので、

無理矢理、可愛げのない子供が増えたことにして話を進めます。

 

まず、知性溢れる師匠二人のやりとりから。

 

師匠B 可愛げのない奴は嫌いなんですよ。

若くて可愛げのない奴はいやだ。

それは明確にあってね。

じゃあ何をもって可愛げがあるか、ないか。

 

師匠A なんでしょう?可愛げというのは。

 

師匠B 好き嫌いじゃないですか?

好き嫌いと、付き合えるか付き合えないか。

体感みたいなもんですよね。

あとは、「人との関係があって当然だ」ということを

自覚できていて、その為に自分は何をしたらいいのか

密かに思っていて、用意の出来ていることですよ。

いくら頭が良くても、それを知らないやつは

知らないみたい。人間関係は、自分で直で見て、

差しで決めるしかないなあと思いますよ。

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2009年8月26日 (水)

『「球出練」をしていて感じること』

「球出練」で僕が出すボールには

「平馬富人」と書いてある筈だ
(僕は球を出した後、

走って行ってその球を打つことはできないけれど・・・)。

僕の出したボールの勢いは、

強すぎるわけでもなく弱すぎるわけでもなく

「打てるものなら打ってみろ!」

とボールに書いてある筈だ
(僕は見ることができないけれど・・・)。

 

残念ながら、ほとんどの人が

僕の球出ししたボールに、

一言で言えば

打たされている(打っていない)。

僕の動作に翻弄(ほんろう)されて

僕に、完全に中に這入り込まれている。

 

練習するしかない・・・。

 

僕の呼吸に合わせ、

自分の間で待って(間合いをはかり)

インパクトに集中して

 

自分のボールにして

的を狙う。

 

何度も言う。

打てるようになるまで練習するしかない(打たされてはいけない)

僕の球出ししたボールをしっかり打てれば、

恐ろしく華やかで素晴らしいラリーをすることが容易になるだろう

 

踊り続けよう・・・。

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2009年8月25日 (火)

「大死一番(最終回)」

「心(メンタル)」の話、ほんとうに最終回です。

 

『それでも、スポーツの場合、最悪な状態になっても、

事故がない限り生きていくことはできる。

しんどいのはやっぱり、職業生活のほうでしょう。

会社で「リストラされそうだ」と思ったら、

リストラされたらどうなるだろう?と考える。

次の仕事もなく、お金に困るかもしれない。

家も失って、女房子供も出ていくかもしれない。

苦しいほうへ苦しいほうへと自分を持っていくんです。

そんなとき、路上生活の人を見て

「あっ、ここにくればいいんだ」という

気持ちになるかもしれない。

「生きていくことはできるんだな。

じゃ、いまの状況で頑張ってみるか」という一種の安堵感です。

こうして、イメージを最悪な状態に持っていくことによって、

ポジティブになれることもあるわけです。

ようするに、不安や恐怖を一旦受け入れて、

それを表現するというプロセスが、ここでは必要になってきます。

 

“大死一番”

 

『禅でよく使われるこの言葉は、文字通り

「大きく死ぬ」ことを勧めたものである。

もちろん、実際に「死ぬ」わけではない。

「死」、転じて自我を「放り投げる」ことを意味する。

イメージの中で欲も損得勘定も何もかも最悪の方向へ追い込み、

自分をどんどん惨めにしていく。

つまり自分を捨てるトレーニングをするわけです。

これが逆に安心感を与えてくれることもあるんです。

なぜなら、自分を捨てることによって、

再び自分を拾うことができるからです。』

 

毎年3万人を超える自殺者を抱える母国のままでよいはずがない。

 

この前、「トミーって長生きしそーだよね!」

とタウンテニスの子供に言われて思わず噴き出してしまった。

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2009年8月24日 (月)

続々・「大死一番(だいしいちばん)」

長々と続いた「心(メンタル)」の話もとりあえず最終回です。

 

「ポジティブイメージを勧める本もありますが」

と前置きして、師匠が解説している。

 

『不安に思っちゃいけないと自分に言い聞かせても

不安というのはどんどん蓄積していくもの。

不安材料を考えないようにしようとしても、

どこかに不安が付き纏ってしまうものなんです。

そのため、一流の選手には最悪の状態から

イメージングをスタートさせる人もいるし、

悪い状況へとイメージを膨らませていく人もいる。

たとえば期待される陸上選手がいるとします。

そのとき、もし負けたら周囲はどう非難するだろうか?

自分はその非難に耐えられるだろうか?などと

想像するわけです。さらに、もしかしたら

コーチが自分から離れていくかもしれない。

友達も去って、恋人にも捨てられるかもしれない

などと最悪な状況へとどんどん自分を追い込んでいく。

そして、最後に待っているのは

「それでもおれはまだ生きている」

というイメージングなんです。そこから

「生きていたら、そのうち友人も恋人もできるだろう」

という気持ちが生まれ、

「だったら、もっと思い切りやってみようか」

という感覚が芽生えたりするわけです。』

 

やっぱり、前言撤回。あと、もう一回。

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2009年8月21日 (金)

続・「大死一番(だいしいちばん)」

前回の続きです。

 

『ようするに、意思は観念に勝てないんですよ。

馬と騎手が敵対関係にあると、

騎手が理想の方向に馬を行かせようとどんなにあがいても、

やはり馬のほうが強い。

うまくやるためには、敵対するのではなく

騎手が馬と仲良くならなければならないわけです。

それと同じで、罪悪感や不安感情、恐怖を抑圧している人に、

理想的な自分になれるようにと暗示をかけても

効果はないんです。それよりも、
不安や恐怖を感じる自分を許し、
受け入れてやるという暗示をかけたほうが効果的
なんです。

そして、それを積み重ねることによって、自己を放り投げてしまう。

言葉を換えれば、自分を掴みにいくのではなくて

自分自身を殺してしまうわけです。

これを“大死一番”と言いますが、

なぜならまず自分の中で死ななければ

外の世界で死ぬことがあるからです。』

 

つづく。

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2009年8月20日 (木)

「大死一番(だいしいちばん)」

『精神分析では“去勢不安”と言って、

父を超えてはいけないという観念が

横たわっていることもあります。

これも暗示によるもので、父を超えることに罪悪感を覚えるわけです。

同じように、成功することへの罪悪感みたいなものも存在します。

スポーツで頂点に立つことが理想で

それだけの力を持っているのに

なかなか勝つことができないアスリートがいるとします。

こうした人の意識の底には、

頂点に立ってはいけないという観念が横たわっていることもあるんです。

つまり、頂点に立つことによって

目標がなくなってしまうことへの防衛が働いている。

つねに目標を持つことでモチベーションを維持したい

という観念としての欲求が、深いところで働いているわけですね。

だから、勝つことが困難になってくる。

ようするに、意思は観念に勝てないんですよ。』

 

育成クラスのY太(中3)を見ているといつもこの解説を思い出す・・・・。

 

つづく。

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2009年8月19日 (水)

続・「僕がイメージ・トレーニングやポジティブ・シンキング(プラス思考)を 好きになれない理由」

前回の続きです。

 

『無意識下に刷り込まれた観念や感情というのは、

意思よりもはるかに強いものを持っているんです。

知性や理性を担当する脳の新皮質の力よりも、

その奥の不安や恐怖などの情動を司る

旧皮質の力のほうが強いわけです。

というのも、人間は基本的に動物だからです。

しかも、そうした観念や情動が抑圧されてしまうと、

それとは逆のことをしてしまうこともある。

これを“反動形成”と言いますが、

一例を上げると、子供には好きで好きで堪らない

異性の友達をいじめることがよくありますね。

本人は意識してませんが、

自我が好きだという情動を拒絶してしまう現象です。

これは超自我を守るための防衛機制の一つでもあるわけです。』

 

ふ~ん。

結論。

 

不安や恐怖を消し去ることはできない。

不安や恐怖を感じる自分を許し、受け入れる。

 

観察するけれど気にしない。これが一番。

 

そーいえば、僕も小学生の頃

御多分に洩(も)れずに好きな女の子をよくいじめていた・・・。

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2009年8月18日 (火)

「僕がイメージ・トレーニングやポジティブ・シンキング(プラス思考)を 好きになれない理由」

巷(ちまた)には、イメージ・トレーニングや

ポジティブ・シンキング(プラス思考)を

持てはやす本が溢れている。

 

昔は僕も実践したけれど(ジム・レアーの本を読んだりして)

現在は採用していない。

僕がそれを本能的に拒んでいた理由

師匠が物の見事に解説してくれている。

 

『メンタルリハーサルというイメージング法があります。

これの一番の盲点と言えば、

頭ではいいイメージを描いているつもりが、

もし失敗したらどうしようという不安感情や、

失敗するかもしれないという観念を

抑圧してしまうことです。

そうなってしまうと、意思の力で

意識にはプラスの暗示を与える一方、

観念や感情にはネガティブな暗示を与えるという

矛盾したことをやってしまうことになる。』

 

やっぱりね!

 

昔から僕の「頭の出来」は悪いけれど、僕の「本能」はなかなか優秀だ。

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2009年8月17日 (月)

「僕がレッスン中に何度となく口にする言葉(番外編)」

番外編

●「インパクト集中して!」

 

●「的にこだわって!」

 

●「弾道を描いて!」

 

●「視線を切らない!」OR 「両眼で見て!」

 

●「鼻から吸って口から吐いて!」

 

●「風を感じて!」(風が強い日に限り)

 

以上、重複したものもあるけれどご参考までに・・・・。

困った時に、アタマで考えすぎずに呪文のようにとなえてみよう!

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2009年8月14日 (金)

「僕がレッスン中に何度となく口にする言葉(スマッシュ編)」

スマッシュ編

●「(インパクトの)空中でパチンと打って!」

 

(スピンやスライス回転がかかってしまったり

上から下に振り下ろしすぎてネコパンチの不純物が入ってしまったりして

正しくフラットに当たってない人が目立つと口から出る)

●「両眼と胸でボールを見て!」

 

(いいスマッシュを打ちたいと思うあまり

顔と上体が下を向いてしまう人が目立つと口から出る)

 

●「左腕で右手を振って!」

 

(右腕(手)がガチガチに固まってしまい

体温計を振るようにスイングできない人が目立つと口から出る)

 

見ての通り、ストロークやボレーに較べて

スマッシュは構造が複雑で難しいので無駄な動作を省くことに終始している。

 

次回は、番外編です。

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2009年8月13日 (木)

「僕がレッスン中に何度となく口にする言葉(ボレー編)」

ボレー編

 

●「ラケットを肘で持って!」

 

(用意したラケットの位置が低く、グリップを手でギュッと

握り締めている人が目立つと口から出る)

 

●「ラケットを立てて寝かして!」OR「寝かすだけ!」

 

正しいスイングのモデルが解っていない人が目立つと口から出る)

 

●「正しく振って!」

 

(勝手気ままな間違ったスイングが目立つと口から出る)

 

●「テイクバックをとってフォロースルーをつけない!」

 

(ミスしたくないあまりテイクバックが小さく、そのせいで

フォロースルーがついてしまう人が目立つと口から出る)

 

●「リリースポイントを感じて!」

 

(「打線」の概念がなく感覚だけで打っている人が目立つと口から出る)

 

●「ラケットの面を的に向けて終わって!」

 

(フィニッシュの形が間違っている人が目立つと口から出る)

 

見ての通り、ボレーのスイングにはあまり個性がでるものではないので

出てくる言葉も細部にわたっている。

 

次回は、スマッシュ編です。

 

つづく。

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2009年8月12日 (水)

「僕がレッスン中に何度となく口にする言葉(ストローク編)」

レッスン中にあまり教条的なことを言わない僕も

カラダを使って夢中になって球を出していると、

アタマを使っている訳ではないけれど

カラダ(口)から自然と出てくる言葉がある。

球出しに集中して興奮してくると何回も連発するので

一日にすると相当数になるだろう

(まるで九官鳥みたいに。そして長嶋監督みたいに感覚的だ)。

 

皆さんの役に立つこともあるかもしれないのでいくつか上げてみます。

 

ストローク編

 

●「パッと用意してブンと振って!」

 

(肩を入れるのが(テイクバックが)遅い人が目立つと口から出る)

 

●「土台をつくってからブンと振って!」

 

(どちらかの脚にスイッチが入ってない人が目立つと口から出る)

 

●「インパクトを集中して!」

 

(命のインパクトが等閑(なおざり)になっている人が目立つと口から出る)

 

●「ラケットを持っている腕は放っておいて!」

 

ラケットを持っている腕がガチガチにリキんでる人が目立つと口から出る)

 

見ての通り、フォロースルー(フィニッシュ)に関しては

どんなに興奮しても球出し中に口からは出てこない結果論なので)。

 

次回は、ボレー編です。

 

つづく。

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2009年8月11日 (火)

続・「スマッシュの裏技」

前回の続きです。

 

本来ならば、前回に書いたとおり

踏み込む時は、左足の踵(かかと)から踏み込む。

 

でも、ここに塩、コショウを振ってみる。

 

どーするかというと、踵から踏み込むのを止めて

左足の爪先で立って踏み込む(踵は浮いている)。

 

そして、左足にスイッチを入れてブンと一振り。

 

この時に、踵が地面に着いてしまったら

BAD。ダメダメ。

 

左足が爪先立ったまま終わっていたら

GOOD.

 

もし、この「裏技」を身につければ、

スマッシュの威力は数段パワーアップするだろう。

 

縦振り(スマッシュ・サービス)は、

インパクトの際、ボールが空に浮いているので、

カラダが下から上に向かって打つ動作になる。

だから、踵が地面に着いて

カラダが上から下に向かう動作は省いた方がいい。

 

et’s ry  it!

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2009年8月10日 (月)

「スマッシュの裏技」

スマッシュフォアハンドストローク

「右肩を後ろから前に出す運動」だと前に述べた。

自ずと基本の土台はどちらも

オープンスタンスになっていないとマズい。

踏み込む場合


フォアハンドストローク
なら

左足(前足)の踵(かかと)から踏み込んでから

左足にスイッチを入れてブンと一振り。

スマッシュも同様に行なう。

踏み込まない場合


フォアハンドストローク
なら

左足(前足)は爪先立って、

右足(後足)にスイッチをいれてブンと一振り。

すると、左足の踵は地面に着いて逆に右足の踵が上がる。

スマッシュも同様と言いたいところだけど、

それでは非常に勿体(もったい)無い

(もちろん、そうなるケースも多多ある)。

 

ここで「裏技」を紹介します。

 

つづく。

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2009年8月 6日 (木)

「朝鍛夕練―不断の努力―」

19歳の時、右も左もわからない状態で

テニスコーチ(その頃はアルバイトで

選手生活と二足の草鞋だったけれど)になって、

早いもので20年近くになる。

 

ナガイね!

 

絶望的な大きな故障もせずにここまで突っ走ってこれた

丈夫な体を授けてくれた両親に

精一杯の感謝をしないといけない

(いまだに目の前では、憎まれ口ばかりたたいている僕だけど・・・・・)。

 

何事も続けることが大切で努力の継続がなければ、

現在の僕のテニスの腕前もなかったに違いないということは

言うまでもない。

 

今回も宮本武蔵の『五輪書』<水之巻>より。

 

『千日の稽古を鍛とし、

万日の稽古を練とする』

 

以上。本日は、精神論でした。

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2009年8月 5日 (水)

「観(かん)の目」

かの剣豪・宮本武蔵の『五輪書』より<水之巻(すいのまき)>から。

 

『観見(かんけん)二つの事、観(かん)の目つよく、

見(けん)の目よわく、遠き所を近く見、

ちかき所を遠く見る事、兵法の専(せん)也』

 

師匠の解説によると

 

「観」「物事の本質(全体性)を見極める」ことを指し

 

「見」「物事の表層の動きを見る」ことを意味している。

 

訳文=目には観の目と見の目とがあるが、

観の目をつよくし、見の目は弱くする。

離れたところの動きをはっきりとつかみ、

また身近な動きにとらわれず、それを

はなして見ることが兵法の上で最も大切である。

 

宮本武蔵の教えは、僕がテニスをプレーする上で、

それからコーチングをする上でとても役に立っている。

みなさんが近視眼的になりませんように。

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2009年8月 4日 (火)

続・「足づかひの事」

前回の続きです。

今回は「拇指球(ぼしきゅう)」信仰」について。

 

まず、試してみよう。

 

足を肩幅ぐらいに広げた楽な姿勢で立つ。

そこから、両足の拇指球で地面をグッと強く押すと、

身体は後ろに倒れそうになる。一方、同じ立位の体勢で

今度は爪先立ちになる。そこから、脱力するように

両踵を床にトンと落とす。すると、床からの反力を受けて

身体が前に倒れそうになる。

 

「拇指球信仰」の人は、ビックリしたでしょ!

 

電車の中で立っていて、身体が前につんのめりそうになったとき

前に倒れないようにしようと爪先と拇指球にグッと力を入れます。

逆に後ろに倒れそうになるときは、爪先を浮かせて踵に力を入れる。

つまり、後ろに向かうときは、爪先あたりで踏んばって、

前に向かうときは踵に体重を乗せればいいということだ。

 

幼少の頃から叩き込まれた固定概念

(「拇指球で地面を強く蹴って!」)が

崩れ落ちて本当に良かったと痛感している。

車がブレーキをかけながらアクセルをふかしているとしたら

よろしくない。

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2009年8月 3日 (月)

「足づかひの事」

「心」や「体」や「武」の関連本を読んでいると頻繁に

剣豪・宮本武蔵(1584~1645)と

剣術家・山岡鉄舟(1836~1888)が登場する。

 

まだ、読んでないけれど宮本武蔵の『五輪書(ごりんのしょ)』は、

いつか必ず読もうと思っている

(現在の僕にはまだ早いと後回しになっている)。

 

今回は、『五輪書』の「水之巻(すいのまき)」の

<足づかひの事>より。

 

『足のはこびやうの事、つまさきを少しうけて、きびすを

つよく踏むべし。足づかひは、ことによりて大小・遅速は

ありとも、常にあゆむがごとし。

足に飛足、浮足、ふみすゆる足とて、是三つ、きらふ足也。

此道の大事にいはく、陰陽の足といふ、是肝心也。陰陽の

足とは、片足ばかりうごかさぬもの也。きる時、引く時、

うくる時迄も、陰陽とて、右ひだり右ひだりと踏む足也。

返々、片足ふむ事有るべからず。能々吟味すべきもの也。』

 

(訳文=足の運びは、爪先を少し浮かせて、踵(かかと)を

つよく踏め。足のつかい方はその時によって大小遅速(ちそく)

の相違はあるが、ふつうに歩むように使うこと。

飛ぶような足、浮きあがった足、固着するような足の三つは

よくない足である。足のつかい方では、陰陽(いんよう)

ということが肝心とされている。陰陽の足とは片足だけを

動かすのではなく、斬る時も、退く時も、受ける時も、

右左、右左と足を運ぶのである。くれぐれも片足だけを

動かすことがないよう、十分に注意しなければならぬ)

 

思い起こすと、僕が日本のスポーツ界に蔓延している

拇指球信仰や中心軸信仰に疑問を抱いて

(他にも「脇(わき)を締めて」とか「膝を曲げて腰を落として」とか)、

世間離れしてから、随分、長い時間が過ぎた・・・・。

世間と対峙するのは、骨が折れる。やれやれ。

 

つづく

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