メンター(先達)=羊男
僕は、村上春樹が好きだ
(小説はハードカバーで全部持っていて
本棚の一番目立つところに飾ってある)。
村上春樹は世界中で読まれていて、
師匠も関連本を出すくらいだから
春樹ワールドは至る所に瀰漫(びまん)しているようだ。
昔、読んだ僕のお気に入りの
『ダンス・ダンス・ダンス(一九八八年)』には
「羊男」という登場人物がでてくる。
当時の僕は現在より
はるかに浅学だったので
「世の中にはコミカルに面白いことを
思いつく作家がいるものだなー」
ぐらいな感じで
春樹ワールドに惹かれていったけれど、
師匠が
『村上春樹は「師」という役柄の登場人物を
みごとにどの小説においても
一度も登場させませんが、
その代用品として、繰り返し、
「線を結びつける人」が登場します。
機能的にはメンター(先達)と
同一の存在とみなすことができます。』
と解説していたので
「深いなー」と無知を痛感した。
『ダンス・ダンス・ダンス(上)-五一頁』より
「あんたも出来るだけのことをやらなくちゃいけない。
じっと座ってものを考えているだけじゃ駄目なんだ。
そんなことしていたって何処にもいけないんだ。わかるかい?」
「わかるよ」と僕は言った。
「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」
「踊るんだよ」羊男は言った。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。
おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。
踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。
意味なんてことは考えちゃいけない。
意味なんてもともとないんだ。
そんなことを考えだしたら足が停まる。
一度足が停まったら、もうおいらには
何ともしてあげられなくなってしまう」
あークラクラする。美しい(深い文学だ)。
『師匠(羊男)が言う通り、メンターが言うべき言葉はそれです。
「君がとりあえず繋がっている唯一の場所はここだ。
だからここから外部への回路は始まらなければならない。」
弟子がそれにうなずいたら、
あと「踊り続ける」のは弟子の仕事です。
メンターにはもうすることはありません。
「踊る」というのは実にすぐれた比喩だと思います。
踊るのは足です。頭でステップを考えて、
それを中枢から末端に伝えて筋肉運動を支持するような
手間隙をかけていたら踊れない。
足が自分で考える。
このステップがとりあえず「合っている」かどうかは足が知っている。
だから、どう踊っていいかわからないときでも
踊り続けることができる。
場合によったら、周りから拍手喝采を浴びるような
華麗なステップを切ることだってできる。
「学ぶ」人がしなければならないこともそれと同じです。
「曲」を聴いて、それに「乗る」こと。
どうしてこの曲なのか、
どうしてうまく踊らなくちゃいけないのか、
踊り終わると何があるのか。
そういうことは考えてもしかたがない。
考えたら足が停まる。
足が停まったらゲームが終わる。
気遣わなければならないのは、
とりあえず自分が「ちゃんと踊っているかどうか」だけなのです。』
師匠(羊男)に随って、
僕も足が動かなくなるまで踊り続けよう。
いつか時間が余ったら「ダンス・ダンス・ダンス」を
読み直してまた羊男に会いたいと想う。




先生
こんばんわ
村上春樹さんのファンなんですね。
その世代の方が村上ワールドを作っているのですか。二女曰く、電車の中では多くの方が読んでいるとのことです。二女も大ファンです。
わたくしは、ついこの間読んだところです。
遅れているのかしら?「ノルウェイの森」は、知ってましたが映画になるって聞いて急きょ読みました。
「ねじまき鳥クロニクル」を最初に読みました。
確かに春樹ワールドがあり、同世代と思うと尊敬し驚きもありました。「ダンス・ダンス・ダンス」読んで羊男にあいます。楽しみを与えてくださってありがとうございます。
今回の新刊ももうお読みになったのですか。
投稿: 和泉 | 2009年6月 9日 (火) 00時09分