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悩みを抱えて「答」を探していると僕は
いつも「答」が其の辺に転がっていて
「あっ、みーつけた」みたいなことになる
(「オーラの泉」
守護霊に導かれてるんですよと悟されそうだ)。
今回は新聞を読んでいたら広告欄に
村上龍の新刊書の宣伝で
本編の一部が(かなりの量で)載っていた。
村上春樹は読んでも村上龍は読んだことがないので
(買わなかっただろうから)ラッキーだった。
僕が酔っ払っては仲間に伝えようとして
うまく言葉にならなかったことを立派な文章で
代弁してくれていたので
溜飲(りゅういん)が下がった。
『夢は、常に大っぴらに、屈託もなく楽しそうに語られる。
だが目標はそうではない。
目標は達成されるべきもので語られるものではない。
達成のための努力を続けている人は、
他人に自分の目標について語るような時間的余裕はない。
いまだ達成されていない目標は、
他人に語ることで意志が「拡散」する。
目標は自らの中に封印されていなければならない。
だから目標を持つのは基本的に憂鬱(ゆううつ)
真の達成感や充実感は、
多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、
常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。』
引き裂かれていた僕は、また救われた……。
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僕は、村上春樹が好きだ
(小説はハードカバーで全部持っていて
本棚の一番目立つところに飾ってある)。
村上春樹は世界中で読まれていて、
師匠も関連本を出すくらいだから
春樹ワールドは至る所に瀰漫(びまん)しているようだ。
昔、読んだ僕のお気に入りの
『ダンス・ダンス・ダンス(一九八八年)』には
「羊男」という登場人物がでてくる。
当時の僕は現在より
はるかに浅学だったので
「世の中にはコミカルに面白いことを
思いつく作家がいるものだなー」
ぐらいな感じで
春樹ワールドに惹かれていったけれど、
師匠が
『村上春樹は「師」という役柄の登場人物を
みごとにどの小説においても
一度も登場させませんが、
その代用品として、繰り返し、
「線を結びつける人」が登場します。
機能的にはメンター(先達)と
同一の存在とみなすことができます。』
と解説していたので
「深いなー」と無知を痛感した。
『ダンス・ダンス・ダンス(上)-五一頁』より
「あんたも出来るだけのことをやらなくちゃいけない。
じっと座ってものを考えているだけじゃ駄目なんだ。
そんなことしていたって何処にもいけないんだ。わかるかい?」
「わかるよ」と僕は言った。
「それで僕はいったいどうすればいいんだろう?」
「踊るんだよ」羊男は言った。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。
おいらの言ってることはわかるかい?踊るんだ。
踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。
意味なんてことは考えちゃいけない。
意味なんてもともとないんだ。
そんなことを考えだしたら足が停まる。
一度足が停まったら、もうおいらには
何ともしてあげられなくなってしまう」
あークラクラする。美しい(深い文学だ)。
『師匠(羊男)が言う通り、メンターが言うべき言葉はそれです。
「君がとりあえず繋がっている唯一の場所はここだ。
だからここから外部への回路は始まらなければならない。」
弟子がそれにうなずいたら、
あと「踊り続ける」のは弟子の仕事です。
メンターにはもうすることはありません。
「踊る」というのは実にすぐれた比喩だと思います。
踊るのは足です。頭でステップを考えて、
それを中枢から末端に伝えて筋肉運動を支持するような
手間隙をかけていたら踊れない。
足が自分で考える。
このステップがとりあえず「合っている」かどうかは足が知っている。
だから、どう踊っていいかわからないときでも
踊り続けることができる。
場合によったら、周りから拍手喝采を浴びるような
華麗なステップを切ることだってできる。
「学ぶ」人がしなければならないこともそれと同じです。
「曲」を聴いて、それに「乗る」こと。
どうしてこの曲なのか、
どうしてうまく踊らなくちゃいけないのか、
踊り終わると何があるのか。
そういうことは考えてもしかたがない。
考えたら足が停まる。
足が停まったらゲームが終わる。
気遣わなければならないのは、
とりあえず自分が「ちゃんと踊っているかどうか」だけなのです。』
師匠(羊男)に随って、
僕も足が動かなくなるまで踊り続けよう。
いつか時間が余ったら「ダンス・ダンス・ダンス」を
読み直してまた羊男に会いたいと想う。
手刀で素振りしているうちに、
勘の鋭い人は「手のひらが画面を向くのは一瞬だ」
ということに気づくだろう。
ということは、フラットサーブに苦しんでいる人は
「手のひらが画面を向いている時間が長い」
ということになる。
参考にしてほしい。
そして、正しいフラットサーブが打てない人は、
正しく回転系のサーブ(スピン、スライス)
逆にいうと、
間違った(不純物だらけの)回転系のサーブを
先に身につけてしまうと、その人は残念ながら
正しいフラットサーブを打てなくなってしまう。
これはストロークも考え方は同じで
回転をかける方がフラットより簡単だ
(インチキでも身につきやすく覚えやすい)。
だからといって、日本中に蔓延している
(調査したわけじゃないけど)、
いかにも日本人が考え出しそうな理論
(サーブもストロークも
回転をかけてコートに入れましょうみたいな)
を採用してしまうと一生、フラットは打てなくなる
ということを僕は声を大にして言いたい。
気持ちよくテニスがしたい人は、
あくまで難しい技術を選ぶという覚悟のうえで
フラットから始めてほしい。
猫も杓子(しゃくし)も回転、
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今日もサービスでダブルフォルトを繰り返し
(もー、ほんとにサービスしすぎ)、
サービスのせいでリズムが狂い、
自信があるストロークやボレーまで
壊れてしまった人達へ・・・。
くれぐれも、自暴自棄に陥らないように。
まぁー、とりあえず、あまり深刻に悩まずに
テレビでも見ながら
お酒を飲んでストレスを発散しましょう。
まず初めに
画面に向かって
利き腕の手で「手刀」をつくる。
五本の指が画面を向いて
親指の方が上で小指が下になればOK。
次につくった「手刀」が頭の後ろにきて
(五本の指が後ろを指して
小指の方が上で親指が下になる)、
肘の先端が画面に向く。
ここまできたら「手刀」を一振り
(体温計を振るように、
もしくは歯ブラシの水滴を切るようにスイング)。
あら大変。
最初は親指が上で小指が下に
画面を指していた「手刀」が逆になって、
小指が上で親指が下になって画面を指しているはずだ。
THAT’S GOOD! つづく。
前回の続きです。
例えば、
足を動かすことが命で
テニスしている人は、
いずれ足が動かなくなるだろう
(若いうちはいいけれど・・・)。
例えば、
力任(まか)せに
テニスしている人は、
いずれ腕力もなくなるだろう
(筋トレが好きな人はいいけれど・・・)。
例えば、
気合と根性で
テニスしている人は、
いずれ「心」だけではなんとかできなくなるだろう
(そんな年寄りはあまり見たくない・・・)。
例えば、
試合にでて頑張っている人は、
「技」が不足していると
一試合目にナイスマッチをしていても
その試合で「心」と「体」を無駄使いしてしまい
次の試合はいい試合が出来ないだろう
(もう疲れているから・・・)。
「技術」を磨くことだ。
「心」と「体」は
裏切ることがあるけれど
一度身につけた「技」は
裏切らない。
一生テニスを続けたいならば、
「心」と「体」が
充実しているうちに
「技」を磨こう。
昔のタウンテニスの
新聞広告用のちらしに
広告会社の人に
キャッチコピーを頼まれて
「技術、売ります」
と考えたのはこの僕だ。
ブランクがあっても
寂(さ)びていないことが
「技」が本物かどうかの目安になる。
レンキン(連続勤務)20日間を終えて
1日のオフを挟み、
またレンキン20日間。
フ――――ッ。
さすがに疲れたね。
エッ?
火曜日や日曜日(出張レッスン)は、
レッスンひとつだけなんだから
楽じゃないか!って。
チッチッチッ、それは短見だ。
なんてったって僕は肉体労働者である。
丸一日休まなければ
レッスンひとつだろうと疲労は蓄積される
(毎日一つずつだったら別だろうけれど
書き入れ時は四つあってダメージが抜けない・・・)。
蓄積されていく疲労で「体」が弱り、
「体」が弱ると「心」も弱り、
「心」が弱ると更に「体」が弱り
悪循環で
普段ならなんでもないことでも
簡単に「心」の鍵を壊されてしまう。
それでも20レンキン×2の
メジャーリーガー張りの
ロードを乗り越えてしまうのは
『己の「技術」に対する絶対的な自信』
があるからだ
(エッ?イチローの真似にしか聞こえないって。
本当にそう思っているんだから勘弁してね)。
消耗した「体」も、
ボキッと真っ二つに折れかけた「心」も
「技」への信頼で
なんとか乗り越えることが可能になる。
僕は「技術」の重要性を説いているだけで
ナルシズムのために
これを書いている訳ではない。
つづく。
片手打ちのバックハンド(ストローク・ボレー)で
左手をラケットから離すタイミングはなかなか難しい
(片手打ちの人からすると両手打ちの人は、
両腕(手)を放っておけばいいから羨ましい。
それでも片手打ちの人は、どんなに高い打点が
打ちづらくて苦しもうと美学があるから
両手打ちに転向するつもりは毛頭ない。
加齢に伴い足も動かなくなるだろうし・・・)。
消去法で考えてみよう。
スイングが始まって
左手でラケットを長い時間持ちすぎて
左手でラケットを押し出す格好になるのはダメ。
ストロークのリズム
『「1」(左足)、「2」(右足)、「の」(スイッチ)、「3」(スイング)』
の『「の」(スイッチ)』のところで
左手をラケットから離してしまうのもダメ。
「1」や「2」で離していたら論外
(「の」のところで離してしまう人が非常に多い。
ボレーもボールが飛んで来た時には既に
左手がラケットから離れている人が多い)。
片手打ちの人にとって
左手でラケットを持って支えている時は、
エネルギー(力)を溜める大切な充電する場所なので
持ちすぎるわけでなく、
持たなすぎるわけでなく
ボールが飛んで来るギリギリまで
ラケットを左手でしっかり持って(充電して)
絶妙のタイミングで離す方法を編み出そう。
『縦振り(サービス・スマッシュ)の模型(モデル)』記事の補足です。
模型(モデル)の「4」のところは
(自宅の)ビデオでスロー再生してもコマ送りにしても
あっというまに
「3」の形からフィニッシュの形になってしまって
見ることができない
(インパクトを通るから一番気になるところなのに・・・)。
「1」・「2」・「3」の運動連鎖の結果、
「4」で恐ろしく高速にラケットヘッドが振られることになる。
ストロークだったらテイクバックが完了して「1」、
グリップエンドがボールの辺りを向いて「3」、
フィニッシュになるとおり「4」、
ストロークに比べてサービス・スマッシュの方が
モデルのコマ数が多いことが
縦振りが難しいと言われる所以(ゆえん)だ。
フェデラーは、「2」の部分をはしょり気味にもかかわらず、
あれだけのサービスを打つから流石(さすが)だね。
WBCで侍JAPANを二連覇に導いた
「究極のアスリート」
イチローが
胃潰瘍(かいよう)のため
故障者リスト入りして
開幕から8試合出場できないことになった。
正直、吃驚(ビックリ)した
(自分に厳しいから、
余人では想像もつかないほどの
プレッシャーを己にかけていたのだろう。
9年連続200安打の記録も
途切れちゃうのかなーと
不安になった)。
そんな僕の心配を外(よそ)に
イチローは
「僕が日本でやったことの
強みが出てくる。
130試合で
僕は200安打をやってきた。
162(試合)マイナス8ではなく、
僕は130プラス24
という計算ができる。」
と話した。
(注:メジャーリーグは、
年間162試合で
イチローが日本でプレーしていた頃は
年間130試合)。
流石(さすが)だなーと感心した。
それは、ただ単に
「イチローが強いメンタルの持ち主」
だというレベルではなくて
(そんなことは、みなさんだって知ってますよね)、
考え方が巧(うま)いという意味で
僕等も見倣うところが大いにある。
イチローは、
きっと自分を常に高い山に登らせるために
巧い思考回路を身につけたのだろう。
イチローが「打率」にこだわらず
「安打数」にこだわるのも
「打率」は浮き沈みするけれど
「安打数」は一本打てば、
もう減らないからで
浮き沈みする「打率」にこだわると
ストレスが溜まりやすく
モチベーションを保つのが難しいからだ
という話は有名だ
(「安打数」が増えれば
「打率」は上がるわけだしね)。
僕もイチローみたいに、
勝手に自分を
高い山に登らせてしまう
手助けになる思考回路を
見につけたいと想ふ。
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