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2009年3月29日 (日)

続・人間関係

師匠の本を読む。
思いあたるふしがありすぎ
膝が腫れ上がる程叩き続けた(腫れたのは嘘)。

『会社のような組織では、
「何であの人が会社員をやっていられるのだろう」
「あんな仕事なくてもいいのではないか」
と思うことがあるでしょう。
そういう理不尽があると一生懸命働いている人はイライラします。
しかし組織、システムというものは複雑で、
「どう見ても要らない」
という部分を抜いたら、
思いのほか大きな影響が出ることもあります。
もちろんそのことで
組織が崩壊するということはないでしょう。
全然働かない人をクビにしただけで
会社が潰れるなんてことはありません。
しかし残りの皆の仕事が変わってくることはありえるのです。
「あの人がいないほうが給料の分配が増えるはず」
と思っていても、そう単純に事は進まないのです。
いまある組織、会社は
その「いないほうがいい」人も含めてここにあるからです。
いちばん出来の悪い人(嫌いな人)がいなくなったらどうなるか。
単に二番目に出来の悪い人が
一番出来の悪い人に繰り上がるだけです。
いやこれは下がるというべきか。
ともかく出来の悪い人の存在は必要なのです。
だから昔の小学校はビリを認めていたのです。
ビリはビリであることがすくなくとも役割になっていた。
皆が平等というのはいいことばかりではありません。

当分の間、師匠のおかげで
壁易(へきえき)としていた「人間関係」も
少しはマシに思えるようになるだろう
(嫌いな人がいるからこそ好きな人がいる有難みも判るわけだし・・・)。

僕は将来、苦虫を噛み潰したような表情をしたじーさんではなく、
いつもニコニコして笑っている愉快な年寄りになりたい。

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へーまの呟き」カテゴリの記事

コメント

 同感です。

 若い人だと(私もですが)どうしても役員の方に「どうしてあいつが役員なんだ」と怒りシンシンするときもありますが、『その意味はお前の決めることじゃないよ』といわれてハッとしたことがあります。

 昔の小学校ではビリの存在を認めていたというのは、現在でもそうするべきだと思います。
 
 ビリを否定したところで、必ずビリは出てくるものですから、根本的に変だと思います。

 多様性とは少し違いますが、もう少しいろいろな役割を理解して、認めて生きたいと思いました。

TO 人間関係
現在もそれほど変わらないですが
虚栄心の塊だった若い頃に
「君たちは、同級生とか後輩が急によい地位に着いたということで驚くことがあるだろう。
しかしそのような人にはたいてい大きな後ろ盾がいるものだ。
このような人をうらやむのは人間としてしかたがない。
しかし、その人が自分よりはるかに能力があり
それに比べて自分はだめだなどと思う必要はない。」
という文章を読んで
と――――っても救われたのを
鮮明に覚えています。
参考までに・・・。
昔の本をまた開かせてくれてありがとう。

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